2020年の7月、僕は途方にくれていた。
それまで店の経営を任せようと、一緒に半年以上ゆっくり計画を練ってきたパートナーが条件が合わないと言い出し、降りてしまったからだ。
そもそも店は出したかった、というより出さなきゃいけなくなった、、というのが正しい。
元をたどれば僕は外国人旅行者をウェルカムしながら自分も住む宿を作りたいとの想いから、2018年に幡ヶ谷にホテルを建てて自ら住んでいた。
その幡ヶ谷が思いのほかビジネスとしてもうまくいったので初台に2棟目を建てる事になったのだ。
そして、渋谷区の新築ホテルは区の条例で部屋以外にリビング30平米と食堂30平米を作らなければならないというルールが適用される。
一棟目に建てたポートハウス渋谷は食堂機能として一階をテナントを入れたが、一年間決まらなかったし、テナントがホテルと経営が異なることによるシナジーのなさも感じていた。
だから2棟目の初台は一階の食堂部分をホテルゲストの出入り口導線上に作り、ホテルのリビングとしても活用したかった。そして食堂の隣には食堂から直接入れるコインランドリーも作るつもりだったので、一般のテナントに貸し出すのは難しいと不動産会社にも言われてしまっていた。
もちろん飲食業経験ゼロの僕はそこで経営をやろうとも、やれるとも思ってない。だから飲食のプロを連れてきて、やってもらうしかないと思っていた。
組む相手を探したところ、たまたまよく行くバーの店長が乗ってきてくれ、一緒に200万づつ投資して最低限の設備と家具を入れてやってみよう、ということになった。当然飲食の経験と知識のある、この人だったらまかせてもよい、と思える男だった。
ただ共同投資とはいえ、場所をこちらが用意し、労働を向こうにお願いするというモデルだと、利益配分が難しかった。また所有権や契約形態など、他にも考えるべきことは山ほどあり、内装業者も決まってさあ着工となる7月、話が白紙に戻ってしまった。その店長には結構な時間を割いてもらったのに、本当に申し訳ない事をしてしまったと思っている。
教訓として学んだのは、リスクオフしたいがために共同経営という形をとったことにより契約条件が難解になってしまったということだ。やはり事業主体は自分単体でやるしかないとおもった。
ただ、はじめての飲食で何の知識もない上、オープンはホテルができる9月にはしなければならなかった。そして本業があるので使える時間は平日夜と週末だけ。
短い期限と無知、そしてコロナというとんでもない逆風の中、こうして僕のドタバタ飲食店経営が始まった。